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人形座とは人形芝居を行う一座のことです。江戸時代の阿波の人形座は、村共同体の人形座と個人主宰の営業目的人形座の2つに分かれていました。江戸時代には約500の村が阿波にあり、その半数にあたる240棟の農村舞台の存在が確認されていることから、1つの仮説として農村舞台と同じ数の村共同体人形座が存在していたのではないかと考えられます。
明治から昭和18年まで人形師として著名だった初代天狗久の注文帳には、徳島県内の人形座として72の座名が記録されています。ここでも村名のついた人形座と個人名の人形座の2種類に分かれています。
明治41年から昭和13年までの人形芝居・浄瑠璃(素人義太夫)の興行状況を記した「徳島県統計書」によると、明治40年代には年間400〜500回の公演が行われていました。第二次世界大戦前にも年間公演数は50回を数えました。 |
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【1】伝統を守って継続している座
勝浦座、寄井座、中村園太夫座(岡花座)、木沢村芸能振興会、大谷旭源之丞座などで、古い伝統を守りつつ新しい工夫を重ね、県下の人形座の目標になっています。 |
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【2】婦人会活動の中から生まれた座
内町婦人会、阿波十郎兵衛座、ふれあい座、かじか婦人学級、名月座などで、地域に密着した女性の自主的でねばり強い活動が戦後の人形浄瑠璃文化を支えてきた一つの要因となっています。 |
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【3】学園を拠点とする座 |
城北高校民芸部、勝浦高校民芸部、新野中学校民芸部、川内中学校民芸部、木沢中学校、川内北小学校、川内南小学校、徳島文理大学人形浄瑠璃部など。また、城北高校卒業生を中心に、城北座や青年座が誕生しました。 |
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【4】自主的な活動を通じて生まれた座
鳴門浄瑠璃振興会鳴門座、あわ工芸座、平成座、駒三座など。 |
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徳島の人形座は自由で自主的に誕生しています。阿波人の反応の鋭さ、芸能感覚の良さ、組織作りの自由奔放さがそこには見られます。人形浄瑠璃を育てた徳島の地域性、県民性は今も脈々と生きています。 |
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参考文献/(財)阿波人形浄瑠璃振興会設立50周年記念誌「国指定重要無形民俗文化財・阿波人形浄瑠璃」 |