人形師
阿波では人形の頭(かしら)の制作者を人形師と言います。阿波に人形制作の技術が伝統的に栄えたのは、淡路島の人形座が全国巡業して活躍していたためであり、また阿波の村々には多くの人形座が存在していたからでもあります。なお、文楽では人形細工師といっています。
 
馬乃背駒蔵(駒三)
享保年間(1716〜1736)の人とされていますが、異説もあります。淡路島出身の仏師で、徳島の大岡馬乃瀬(現・助任本町)に住んだことから馬乃背駒蔵と名乗りました。阿波人形師の祖とされています。初期の作品には動きはありませんが、後期の作品には、アゴ引きによる口開け、目の左右の動きなどの細工があります。三番叟1個が県指定の有形文化財です。
佐兵衛
佐古の源兵衛に師事。罪を犯して讃岐へ追放。秘かに阿波に帰国して人形を制作。無銘か、息子の「人形忠」の銘を付けました。
大江常右衛門
作品は「大江常」の銘が1個。他は「大江順」と銘しているため息子の作品と混同。
大江順右衛門
常右衛門の息子。父と制作後、文楽座の座付きとなり「順楽」の名で明治42年1月〜4月まで番付に載っています。その後、大江順栄の名で、淡路島にて制作。娘頭に多くの逸品が残っています。
人形富
1816年(文化13年)生まれ、1894年(明治27年)没。常に創意工夫をした。現在の阿波人形頭の塗りの基礎を築きました。娘頭に多くの逸品が残っています。門下生に初代天狗久、人形忠、天狗弁、大江順楽らがいます。
人形忠(デコ忠)
1840年(天保11年)生まれ、1912年(明治45年)没。その生涯の記録はほとんど不明ですが、奇行の人として知られています。商人や金持ちには法外な値段で作品を売りつけ、貧しい人や障害のある人、子どもたちには多くの施し物をしました。作品の特徴は娘頭の美しさと気品にあります。
人形友
人形忠の長男。1860年(安政7年)生まれ。父親の元で修行後、独立し、愛媛県に移り人形を制作。
人形忠と人形友
人形泉
人形忠の二男。父、長男とともに人形制作に従事し、後に北海道に移り仏師として名を残しました。作品は阿波に1個、淡路に1個。
初代天狗久
1858年(安政5年)生まれ。16歳で人形富に弟子入り。1943年(昭和18年)に亡くなるまで、70年間人形を彫り続けました。阿波人形浄瑠璃の象徴的な存在として、マスコミを通じ、全国的にも有名。天狗久は、明治12年頃から地方の暗い農村舞台で目立たせるために人形頭を大きくしました。そのため頭の材料をヒノキから桐に変えて人形の重さを軽減し、目にガラス玉を使い薄暗い光線の中でも目の輝きが出るように工夫しました。さらに天狗久の功績として挙げられるのは、人形浄瑠璃の舞台道具の一部であった人形頭を芸術の域にまで高めたことです。その頭の数は全国に千個を下らない数が残されていると推測されています。
初代天狗久
天狗弁
1911年(明治6年)生まれ、1969年(昭和44年)没。16歳の時、叔父である天狗久に誘われて弟子になりました。大阪で近松座や文楽座の座付き人形細工師として活躍。戦前、文楽座で使用された首の3割を作成した。文化功労賞や黄綬褒賞を受賞。
天狗要(2代天狗久)
1880年(明治13年)生まれ、1915年(大正4年)36歳で没。初代天狗久の長女の婿養子。遺作は大阪市立博物館に4個、ほかに2個。
天狗治(3代天狗久)
1911年(明治44年)天狗要の二男として生まれ、1978年(昭和53年)没。初代天狗久のもとで修行し、天狗久の技法すべてを受け継ぎました。生涯作品約100個。女頭は初代以上と言われています。
天狗治(3代天狗久)
初代巳之助(美之助)
1817年生まれ。人形の口を縦に動くように工夫したと言われます。作品はほとんど残っていません。
二代巳之助(栄吉)
人形頭の塗りの巧みさが評判。作品はあまり作っていません。1928年(昭和3年)没。
三代巳之助(栄松)
人形は一通り何でも作りましたが、作品は比較的少ない人形師でした。1955年(昭和30年)没。
四代大江巳之助
本名・武雄。1907年(明治40年)栄吉の二男に生まれました。少年期、写真雑誌「朝日グラフ」に毎号掲載されていた文楽の「首」の写真に魅せられたことから人形を作りたいと思い、初代・天狗久に教えを乞います。そして二週間に一度、鳴門から国府まで自転車で通い、天狗久に自作を見てもらいました。一年後の1930年(昭和5年)、本職の人形細工師を目指し大阪の文楽座に飛び込みます。その頃文楽座では座付きの人形細工師が不在だったため、簡単に受け入れられたものの、具体的な人形の彫り方を教えてくれる先輩がいないため、座にある首を見て自分で工夫するしかありませんでした。しかし当時の文楽座の座頭、男人形遣いの名手・吉田栄三(えいざ)と「昭和の名人」といわれた女人形遣いの吉田文五郎から直接注文を受けながら人形作りに精進しました。彼の人形が舞台で映える人形作りに徹している由縁はここにあります。戦後、空襲で焼失した文楽座復興のために人形を作り、数年間で約300の頭を作るという歴史的な仕事を成し遂げました。戦後最大の人形細工師といわれた大江巳之助は平成9年、89歳で亡くなりました。
現代の人形師
1982年、「阿波木偶制作保存会」会長である人形恒(本名・田村恒夫さん)は、愛媛県で火災に遭った頭39個の修理を引き受けます。それらの人形は初代天狗久、天狗弁、人形富、人形忠、人形友などの名人の作であり、人形恒、人形洋(本名・甘利洋一郎さん)ら5人は、修理することによって過去の名人たちの技術を学びました。また2001年には徳島県内の人形作家を組織する「阿波木偶作家協会」が結成され、「現代の木偶展」が開催されました。
 
参考文献/(財)阿波人形浄瑠璃振興会設立50周年記念誌「国指定重要無形民俗文化財・阿波人形浄瑠璃」
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