農村舞台とは
阿波の村々の農村舞台(定舞台)が建設され始めたのは幕末期のことといわれています。村の鎮守の神社では、豊作祈願や豊作感謝の祭りが行われ、農民は供え物だけでなく、歌や踊りなどの芸能も奉納しました。この奉納芸が盆踊りから人形芝居に移行していったのですが、常に専門の人形座を呼ぶ経済的余裕がないため、農民は自分たちで人形操りを稽古する練習場所として農村舞台を造ったのです。お金を出す人、材料を提供する人、労力や技術を提供する人などすべての村人が協力し、村の共有地である神社の境内に建設されました。
阿波の農村舞台では村人たちが春秋の祭りの奉納芸として人形浄瑠璃芝居などを上演したほか、村人の集会場や祭りの酒盛りの場、だんじりの保管倉庫など地域によりさまざまな用途に使われていたようです。昭和40年代前半に行われた農村舞台の調査では、全国に1921棟の農村舞台が存在するうち、徳島県は240棟(現存舞台209棟、廃絶舞台31棟)と最も多く残っていました。また全国的にはほとんどが歌舞伎系の舞台形式であるのに対し、徳島県内では歌舞伎系はわずか1棟で、他の239棟は浄瑠璃語りが座る太夫座の付いた人形芝居系という大きな特徴を持っています。つまり全国の人形芝居系の農村舞台の大半が徳島に集中しており、いかに徳島で人形浄瑠璃が盛んであったかをうかがい知ることができます。
その後、阿波のまちなみ研究会が行った調査で、136棟の現存舞台と129棟の改築舞台、43棟の廃絶舞台が確認されました。当時、舞台として定期的に使われていたのは、木沢村(現・那賀町)の坂州農村舞台や徳島市の犬飼農村舞台などごくわずかでしたが平成3年、上那賀町教育委員会と阿波のまちなみ研究会の主催により、上那賀町(現・那賀町)の川俣農村舞台で人形浄瑠璃の公演が行われました。続いて平成4年には上那賀町拝宮の轟神社の農村舞台(拝宮谷農村舞台)で、平成13年には神山町の小野さくら野舞台、平成14年には勝浦町の今山農村舞台で復活公演が行われました。さらに舞台復活の気運は盛り上がり、平成15年には三好町(現・東みよし町)の法市農村舞台で80年ぶりに、平成16年には上那賀町の拝宮農村舞台で50年ぶりに公演が実現しました。このほか平成17年、西祖谷山村(現・三好市)において、組み立て式農村舞台である、後山襖からくり舞台も復活公演を成功させました。このように徳島県内では、文化遺産である農村舞台を守り、未来へ伝えていくために多くの人たちが力を注いでいます。
 
農村舞台と神社本殿との位置関係
芸能は神に奉納するものであるため、舞台は神社の本殿から見える場所にあります。本殿正面に向かって右側か左側であり、観客のお尻が神社に向かないように配置されています。太夫座が神社本殿に向くように境内広場の右側に舞台があることが最も普通です。
 
農村舞台の構造的特徴
農村舞台の規模は間口五間(9m)、奥行き三間(5.4m)が平均です。舞台上手(右側)に本舞台に対して30〜40度の角度で内向きなった「太夫座」が付設されており、太夫や三味線が演奏します。そして舞台前面には、人形遣いの下半身を隠し、人形の足が丁度地面の位置に見えるようにする「蔀帳」があります。この「蔀帳」は可動式で倒すとステージが広がります。 舞台両側の柱(大臣柱)の奥にはふすま絵を保管するための物置があり、ほとんどが吊り物置になっています。犬飼の舞台では舞台下に舟底型の楽屋があります。犬飼、坂州、川俣、拝宮などの舞台にはカラクリ機構になったふすま絵があります。特に犬飼のカラクリ機構は精巧で、132枚のふすまを操り出して、42景の背景を展開することができます。
【太夫座(たゆうざ)】
人形浄瑠璃を演じる時の太夫と三味線弾きの席。舞台より一段高く、上手(向かって右側)に位置し、舞台と客席の両方を見られるようになっています。
太夫座
【蔀帳(ぶちょう)】
舞台床面の拡張装置。板戸の上部は上に吊り上げます。下部は前方90度に倒し、付属の脚を支えにしてステージを広げます。
 
蔀帳
↑蔀帳を倒す前 ↑蔀帳を倒すと舞台が拡張
 
ふすまカラクリ
阿波の舞台装置として全国的に珍しいのは「ふすまカラクリ」です。舞台の背景画をカラクリ仕掛けで変化させていく手法で、最も多い「引き分け」という手法の場合、6〜8枚のふすま絵を左右に動かして裏にセットされた別の絵を次々に見せていきます。「千畳敷」では、ふすま絵を奥へ奥へと開けていき、遠近法で描かれた千畳敷の御殿を出現させることもできます。このほか、行き違い、チドリ、回転(田楽返し)、上昇など約10種類のカラクリ仕掛けがあります。 ふすまカラクリ
【祖谷からくり舞台】
明治時代から昭和30年頃まで、からくり襖絵(ふすまえ)が盛んに上演されていた三好市西祖谷山村では、村の各地区にあるお堂前の広場に、組み立て式舞台を設置していました。数多くの襖絵とともに、からくり舞台の部材もお堂に保管されたままでしたが、修復できる可能性があることがわかり、舞台の復元に着手。地区のお年寄りから建築方法を聞くなどし、杉の丸太約100本をわら縄や針金で結び合わせてからくり舞台を再現。平成17年、後山地区の阿弥陀堂前で50年ぶりの復活公演が行われました。平成19年6月からは、三好市有形民俗文化財である、からくり襖絵の操作技術を後世に残そうと、祖谷からくり舞台保存会が後継者育成の講習会を開催しています。
 
参考文献/(財)阿波人形浄瑠璃振興会設立50周年記念誌「国指定重要無形民俗文化財・阿波人形浄瑠璃」
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